スピードスケート競技のなかに、ショートトラックという競技があるのをご存じだろうか?
1周111.12mのトラックをまわり、着順を競う競技で最高時速は女子でも50kmを超えるといわれ、別名「氷上の競輪」とも呼ばれている。そんなショートトラックで、現在オリンピック出場に向けて猛練習に励んでいる女性がいる。それが彼女、菊池萌水だ。
2010年11月に行なわれた全日本ジュニアショートトラックスピードスケート選手権大会で総合優勝。2014年に開催されたソチ五輪ではショートトラック女子出場5枠という難関に滑り込み、3000mリレーの補欠選手に選ばれる。スケート歴は20年以上。長野に生まれ、物心ついたときからスケートを続けていた彼女でも、滑ることが怖いときがあるという。
「時速50kmくらい出てるので、氷に足がつくタイミングがいつもとずれちゃったり、バランスを崩してしまう時は今でも“怖い”と思います。あとは転ぶとかじゃないんですけど、スピードスケートの練習は基本外なのでそれもつらかったりします。夜の練習とかだとマイナス25度という気温のなかで行なわれたりするので、転ぶとか怖いとかいうよりも、まず寒すぎて涙が出てきちゃったり(笑)」
しかし、彼女の競技人生で一番つらかったのは「転びそうになった」ときでも、「氷点下25度の中で滑った」時でもない。それは、大学に入ったころのこと。
「大学進学を機に上京したのですが、そのとたん滑れなくなってしまったんです。長野にいたころは、ショートトラックの専用リンクがあっていつでも練習し放題。学校から練習場へ向かうときこそバスを利用していましたが、それ以外は親の送迎付き。至れり尽くせりというか、スケートに集中できる環境に恵まれていました。それが上京して一転。東京では、ショートトラックの専用リンクはない。練習は限られた時間と環境の中でやらなければいけない、つまり
1回の練習における質を高めないといけない、そんなプレッシャーに押しつぶされてしまって……自分の“甘さ”と“弱さ”を思い知ることになりました」
練習には行くけど、いざ滑り始めると減速してしまう。必死に足をこいで、滑ろうとしても、前の選手とどんどん離されてしまう。以前は勝てた選手たちにも負けるようになってしまった、そんな状態がなんと2年間も続いた。しかし、彼女はあきらめなかった。スケートを続けてこれたのには、当時同居していた姉の力が大きいという。
「5人姉妹で、長姉だけスケートを引退して東京で美容師をしていたので、上京してからは同居させてもらってました。優しくしてもらったとか全然そんなんじゃなくて、むしろ厳しくて。それこそ監督も言わないようなことをズバズバと指摘されました(笑)。姉はスポーツの厳しさも、プロとして社会で働く厳しさも、そして負けず嫌いな私の性格もよくわかっていたんですよね。とにかく叱咤激励されて、でもそのおかげでメンタルが鍛えられたんだと思います。徐々に自分を立て直すことができました」
彼女は長野県の出身。冬には、凍った湖の上をスケートリンク代わりに滑って楽しんでいたという。
「生まれ故郷は、長野の山奥なんですが、村をあげてスケートを盛り上げるという感じで。大人も子供も冬になったらスケートを楽しむ。それが当たり前の文化で育ってきました」
しかも両親ともに、元スピードスケートの選手。5人の姉妹は、引退した姉も含めて、全員スピードスケートの選手。生粋のスケート一家の中で育ち、文字通り青春時代もすべてスケートに捧げてきた。勉強との両立は厳しく、家と学校、練習場のはしご。学校が終わると、すぐに練習場に向かわなければならない。放課後、楽しそうにおしゃべりをしている友達を横目に練習に向かうことも多かったという。さらに高校では進学校に進み、勉強する時間を確保するために朝早く起きる日も続いた。それでもスケートを辞めなかった。そこまでして打ち込むスケートの魅力を聞いてみた。
「魅力……うーんなんだろう……。ひとつ挙げるなら“達成感”、ですかね。なんでもそうだと思うんですけど、トップレベルを極めれば極めるほど、目標達成への道って狭くなってきますよね。成長の速度も落ちるから、そのちょっとの幅をピンポイントで地道に詰めないと目標には到達できない。結構地道だし、正直、楽しい時よりも、キツイことのが多い。足が太くなるのも悩みだし(笑)。でも、だからこそ、到達したときの喜びはすごく大きくて。ある意味、快感に近いような(笑)。もっと上達すれば、もっとすごい感動に出会えるんじゃないか、そんな期待で続けている気がします」
そんな彼女の夢はもちろん、オリンピック出場。そしてスケートをもっと広げること。
「私の地元のように一部の地域では普及しているものの、全国的には知名度もまだ低くて練習の環境も整っていません。ひとりでも多くの子どもたちに、スピードスケートという競技を知ってもらって、何かを始める時の選択肢を広げてもらえたらいいな、という気持ちはあります。私自身、高校生の時に世界大会に出ることが出来て、見える景色が変わって世界も広がった。小さなころから私の人生にはスケートがいて、ずっとともに歩んできて、つらくて別れたいと思ったことも何度もあるけど(笑)。でも、私が充実した生活を送ってこれたのは間違いなくスケートのおかげです。敬意と感謝の意を込めて、このスポーツを普及させたい。そのためにも、まずはしっかりと結果を残していきたいと思います」
まだまだ自身も発展途上だと謙遜しつつも、それでも挑戦できる環境があるのはありがたいと言う。素朴な印象の彼女だが、瞳には競技者としての意志の強さが光る。取材後は練習に向かい、そのままカナダへの遠征へと向かった。2018年平昌オリンピック出場枠の選抜は2017年9月から行なわれる。故郷の湖というリンクから、世界のリンクに羽ばたいた彼女。その新たな挑戦が見られるのはもうすぐだ。
プロフィール[Profile] 菊池萌水 [きくち もえみ]
1992年4月6日生まれ、長野県出身。
五人姉妹の四女で次姉はスピードスケート選手、末妹もショートトラック選手というスケート一家で育つ。2010年全日本ジュニアショートトラックスピードスケート選手権大会で総合優勝。2013年12月に開催されたソチ五輪日本代表選手選考競技会で、ショートトラック女子出場5枠に選抜。2018年の平昌オリンピックに向けて、最も期待される選手のひとり。
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