「わたし、お酒とはずっと片思いなの」お酒を飲み始めてた頃からそう言っているし、未だにそう感じています。特に二日酔いの朝は決まってそう強く思いますよ。ではそんなわたしが、なぜこの世に存在しなかった「日本酒ライター」という肩書きを勝手に名乗り、物書きをするようになったのか。誰が求めているのかわかりませんが(笑)現在に至るまでをつづります。
根っからの酒好き。一番美味いのは1人正座しながら呑むお酒
お酒が許されるようになった20,21歳を、地元の札幌で過ごしました。既にOLをしていたわたしは、自分のお給料をとにかく飲み代に充て、しこたま飲む毎日。ワイン、焼酎、テキーラ、ジン、ラム、日本酒、アブサン、ウイスキーにブランデー…お酒のメニュー表みたいになるのでこれ以上は書きませんが、とにかく何でも飲みました。
無類の酒好きは血筋の影響?
思い返せば、両親も大のお酒好きでした。ビールやワインを仲良くシェアして晩酌をしている夫婦は多いと思いますが、うちの両親はそんなことお構いなし。母はワイン、父は焼酎。思い思いのお酒を毎晩それぞれ勝手に楽しんでいました。そんな両親の友人たちも、もちろん酒好きばかり。家のリビングでは人が集まって夜中まで飲み、大笑いし、「友美ちゃん大きくなったな~。昔はこんなに小さくてなぁ」と言う酔っぱらいの戯言に「そりゃあ誰でも昔はそれくらい小さいよ!」と心でツッコミながらも、笑顔を振りまいていたものでした。札幌から2時間ほどの所に住む、大好きなおじいちゃんも朝からウイスキーを飲んでたっけな。
そして、それが一般的な家庭だと思っていたんですね。BBQをすればお酒、海に行ってもお酒、食事をすれば一緒にお酒、日常生活に当たり前にお酒があるという感覚はあの頃につちかいました。おかげさまで、今ではお散歩にもお酒、です。
なぜ日本酒じゃなきゃいけないの?きっかけは1軒のウイスキーバーから
その後なんとなーく上京し、経理職に従事していたわたし。地元にいた頃より飲みに行く回数は減ったけど、相変わらずライフワークの飲み屋巡りと晩酌は続けていました。そんなある日、銀座にある会員制のウイスキーバーに連れて行ってもらいます。その店の商品は全て、マスター自ら現地まで足を運んで仕入れたホンモノ。連れられた20歳そこそこのわたしへの洗礼にと、日本で売っているジャックダニエルと、アメリカのテネシー州で扱われているものとを飲み比べさせてくれました。これが、全く別物!!「今まで飲んでいたものはニセモノだったんだ!!」そう感じるほど、本場のウイスキーが美味しい!!ウイスキーの中ではあまり高価じゃないジャックダニエルでさえも、こんなにまろやかで上品で味わい深いのかと。きっと現地で呑んだらもっともっと美味しいんだろうなぁ。そのとき受けた衝撃は今でも舌が覚えています。
その翌週、誘われていったのは恵比寿の和食料理屋さん。当時大人気のため入手困難なことで有名だった「十四代」を、お酒好きだからと特別に飲ませてもらいました。特別といったって、驚くようなプレミアム価格ではありません。
「美味しい…」
ひと口呑み、ふた口呑み…飲むごとに変化する繊細な味わい。味わって、感じて、自分自身の言葉で表現しないとただ酔うだけで何にも覚えていませんから、そういう意味では初めて日本酒と向き合ったときと言えるかもしれません。「お酒っていうのは、何のごまかしもない純粋で美味しいものを、適正な価格でムリなく続けて飲むのが、オシャレで最も正しい」=「日本にいながら、こんなに良心的な価格で美味しい日本の酒を、飲まない理由がどこにあるんだろう?」。ふっと腑に落ちた瞬間でした。
まとめ
この後、日本酒にのめり込み、さまざまなものを飲むためあちこち行くことになります。が、その中で千葉の、とあるお酒と衝撃的な出会いを果たします。長くなったので、このお話はまた次回。どうぞお楽しみに♪