私が社会人になって、今年で25年目。高卒の小娘が社会人としての基礎を学び、夢を見つけ、キャリアを形成していくストーリー。『天職』と『適職』が異なる現実を目の当たりにしつつも、キャリアと同じように、結婚・出産も大切にしたいという想いを貫いた前編でした。
出産を機に退職し、子育てからスタートした30代。夫は私に専業主婦でいることを望みましたが…セカンドキャリアの始まりは、自分のためだけではなく、家族のためでもありました。
【1】バランスを模索し続けた30代前半
産後1ヶ月は育児に慣れるのに精一杯でしたが、3ヶ月を過ぎる頃には、フリーランスで出張パソコンセミナーなどの依頼があり、子供連れを条件に受けていました。夫はいい顔をしません。1歳にもならない子供を仕事に連れて行くなんて、あまり聞く話ではありませんでしたから。夫と相談しながらバランスをとる毎日が続きましたが、突然思わぬ形で完全に仕事復帰することになります。夫が勤めていた会社が倒産し、収入が途絶えてしまったのです。独身時代の私のキャリアを知るIT通信サービス販売会社から声がかかり、1歳の息子を保育園に預け、いきなりフルタイムでの二次キャリア時代がスタートしたのが31歳。ITの技術営業職経験者は貴重な即戦力、入社1年目で会社は急成長し、実の母に助けてもらいながらの3年間、事業運営や経営企画を学び、社内初の女性役員になりましたが、夫の理解を得ることができず、夫の仕事が安定したのを機に34歳で退職。キャリアより家族を選んだ瞬間でした。
【2】自立の道を選んだ30代後半
キャリアと家族を天秤にかけなくてはならない疑問と、ある日突然収入が途絶える不安は、私の自立心をさらに駆り立てました。IT通信サービス販売会社での経験から、大手通信キャリアからスカウトがあり、夫を説き伏せ、営業職として再就職したのが36歳。この頃はもう、専業主婦に戻るつもりはありませんでした。37歳で離婚。息子と実の母と3人の生活。シングルマザーとして、一家の主として、新たな道を歩み始めた頃はとにかく必死で、美容の仕事や天職なんて忘れています。でも、遠慮なく仕事ができる環境が、20代の頃の夢見る感覚を取り戻してくれました。そしてまた、憧れの仕事を思い描くようになっていったのです。そう、私は美容の仕事がしたかったんだと。
【3】今、夢を再び
完全に夢を取り戻した私は、それでもITの世界でキャリアを積んでいきました。大手通信キャリアを退職したのが38歳。31歳で二次キャリア時代をスタートさせた会社に出戻り、事業運営や経営手法を改めて学び、新事業立ち上げのプロジェクトに参加させてもらったのは、ある意味、起業への準備期間だったのかもしれません。
そしてまた、突然にやってきた転機。オリジナルの化粧品を開発してみないか、というオファーが入ったのです。離婚後まもなく、美容業界復帰への夢を思い出した私は、誰彼構わずその夢を話していました。「私は美容の仕事がしたい。夢は絶対に叶うんです。」そう話していた私を覚えていて、声をかけてくれたのが現在の会社のパートナーです。
私の長年の夢が叶ったのは、42歳。自分の感性とこだわりを詰め込んだオリジナルコスメと共に、化粧品会社を起業しました。そして現在、念願のサロンを持つこともでき、20代のあの頃思い描いていた夢は、目の前の現実となって今ここにあります。そう、夢は叶う。いや、夢はつかむ。私の『天職をつかむ力』は『夢をつかむ力』なのかもしれません。
揺蕩う海に帆を揚げて
拭きゆく風は追い風に
指し示す針路は光に満ちている
遥かなる航海の途中、得手に帆を揚げて、たおやかに
Bon voyage!
人生という長い旅の途中、
今の私の心の琴線に触れた大切なものを表現するため、
この会社は誕生しました
始まりでも終わりでもない、途中にあるもの
まとめ
44歳になる今、人生の次のステージに立つ自分に改めて感じること。それは、化粧品会社を起業した2年前、夢が叶った喜びとその時感じた想いを綴った文章とそっくりそのまま。今もこの想いを胸に、ストーリーは続いています。