【体験談】ひとりブラック労働で壊れた私…残業80時間のボーダーライン

【体験談】ひとりブラック労働で壊れた私…残業80時間のボーダーライン

残業

女子ツク!編集部の椎野です。以前、私は個人事業主として企業と契約し、Webサイトの原稿制作に携わっていたことがありました。しかし業務の性質上、平日は指定されたオフィスで働かねばならず、個人事業主とはいえど会社員のような生活です。1日12時間労働は当たり前、土日や祝日もままならず、個人事業主なので「残業」という概念もなく、まさに“ひとりブラック”な状態。この長時間労働を2年ほど続けた中で見えてきたのが、自分が働き続けられる残業時間のボーダーラインと健康状態の変化でした。いったい私の残業の限界はどこまでだったのか?激務の記録を残業時間に換算しながら、振り返ってみました。

長時間働いていることへの麻痺

当時は自分と同じ個人契約の仲間が同じ労働環境下で頑張っていて、誰かひとりが倒れると他のメンバーでカバーに回る持ちつ持たれつ状態。自分だけ弱音を吐くこともできず、長時間働くのが当たり前になっていました。月の残業時間で換算すると80時間はゆうに超え、100時間前後。そんななか最初の変化として訪れたのが、長時間働いていることへのマヒ。人間は慣れる生き物だといいますが、本当に何も思わなくなります。また、個人的には通いたいスクールのために学費を稼ぐという目的があり、業務量がどんどん増えようがお構いなし。成果報酬型で校了しないとお金がもらえなかったので、どうにか終わらせるために必死に業務をこなす日々。まさに周りの環境と目的のために感覚がマヒしていたとしか思えません…。しかし、いま当時を振り返っても「上には上がいるし、残業100時間以上に比べれば…まだぬるい方だったな」と思ってしまうこともあり、“ひとりブラック”のマヒはいまだに残っている?のかも。

疲労蓄積で起こるさまざまな不調

そんな日々を続けていると当然、寝不足の上に毎食ほぼコンビニという生活に。ゆっくり食べることもままならず、空腹だからとりあえず何か詰めておこうといった感覚。これもひとつのマヒだと思います。当時は何をするにも仕事優先。毎日の忙しさに酔っていたのか、校了後は異様な達成感があり、同じ個人事業主の仲間とオールで飲みに行ったりと不健康さに磨きをかけていました(笑)。でも、肌荒れや胃腸の不調は慢性的に抱えていて、倒れるまではいかないけど何となく体はだるい…。休日は疲れ切って、ほぼベッドから動かない。完全に悪循環にハマっていました。そんな中、気づいたら自分の立場は中堅どころ。自然とやっかいな案件を担当することが増えました。打ち合わせや交渉が難航し、クライアントから嫌味を言われたりすることもしょっちゅう。このとき月残業80時間前後でしたが、いままでの肉体的な疲労に加えて、明らかに精神的なストレスを抱えるように。それまでは何となくだった心身の不調が顕著になってきます。まず気分が落ち込み、生理不順に加えて不正出血。さらには難聴と味覚障害に。からだが完全に仕事のペースについていけてない状態でした。また学費を稼ぐ目的もすでに達成しており、燃えつきていたということもあります。「生活するために働いているのではなく、働くために生活しているんじゃないか?」と我に返りはじめました。

ようやく働きすぎだと気づく

残業

あまりにも自分を犠牲にしてきたと、ようやく気づいて業務量の調整を契約企業に交渉。毎月決めた本数しか受けないと決め、自分の時間を作るようにしました。それからゆっくり体は回復して健康を取り戻しましたが、以前のように激務に戻ることはありませんでした。っていうか、心が首を縦に振らなかったのです。もう当時のような、月残業100時間レベルの忙しさをこなすのは無理でしょう。長時間労働を経験した中で見えたのは、自分が耐えられる残業時間のボーダーライン。それが私の場合は月80時間以内でした。80時間を超えて働き続けると確実に体は疲労を蓄積し、いつか悲鳴をあげます。さらに強いストレスを受ければ、もっと早くそのときが訪れるでしょう。「月残業80時間」というのはちょうど過労死ラインだそうですが、これより短くても体を壊す人は壊します。そしてこれより長く働いて大丈夫だったとしても、生産性の面から見ると決して高いとは言えないはず。

まとめ

心身を壊してどん底だったとき、コーチングをしてもらった人に「今やっている仕事はライフワークなの?ライスワークなの?」って聞かれたことがあります。「ライフワーク」とは、やる目的や意志が自分の中にあり、生きていくための仕事。「ライスワーク」とは生活のために淡々とお金を稼ぐだけの仕事のこと。「ライフワークだったら、きっと残業も乗り越えられるポテンシャルが自分の中に生まれるけど、ライスワークだったら機械のように残業をするだけで一番キツいよ」と言われ、当時の自分と仕事の関係性を見直すきっかけになりました。今でもこの言葉は心の中に置いてあって、働くことに何か迷ったときに思い出します。

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