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『ニューズウィーク日本版』フォトディレクターの仕事~前編~

世界を読み解く「写真の力」

週刊誌『ニューズウィーク日本版』の副編集長を務める片岡英子。フォトディレクターでもある彼女は、2004年に文章ではなく、写真を主体としてニュースを伝える「ピクチャー・パワー」という連載ページを立ち上げる。スーダン、モスクワ騒乱、イラク戦争、スーダン紛争、リビア、パレスチナ自治区の分離壁、朝鮮半島の38度線、数々の冷戦施設、コロンビアの麻薬組織の抗争、ロシアのネオナチ、貧困国ハイチの大富豪、ミスコンに出場する2歳の子供、3.11東日本大震災……最前線のニュースを記録するルポルタージュから、ドキュメンタリーまで、世界の名だたるフォトグラファーや、若手写真家たちのフォトストーリーを掲載するページは連載12年で600回を越え、根強い人気を保つ。彼女は「写真は出来事を記録するという他に、深いストーリーを語る大きな力がある」と話す。国際ニュース雑誌で活躍する彼女のキャリアに迫る。

彼女がカメラに触れたのは物心ついたころ。

「父はいわゆるカメラマニアで、私も物心ついた時から触って遊んでました。初めて与えられた自分用のカメラはオリンパス35。どこに行くにも持って出かけて、街、人、景色、ジャンル問わずいろんなモノを撮ってました。この話をするとほぼ必ず『カメラが好きだったんですね』と言われるんですけど、そういう意識も特になくて。 “好き嫌い”以前に、もう習慣だったんですよね。だから、大学を卒業して就職となったときも、特に写真の仕事に就こうとも思わずに、普通に商社に就職しました」

大手商社で広報に配属され、報道対応の仕事に就く。さらに5年ほどたったころ、『ニューズウィーク』編集部に転職する。

「世界を股にかけたダイナミックな事業の数々を広報するのは魅力的でしたが、当時使われていた総合商社のキャッチフレーズは『ラーメンからミサイルまで』。扱う商材は多岐に渡り、消費者向けのわかりやすい商品がほとんどなく、自分の意識を集中しづらいな、と思っていました。元々本が好きで出版社に対する憧れが強かったので、今の会社を受けてみたら、今より景気も良く就職しやすい時代だったこともあり、運よく転職することができました」

転職後は『ニューズウィーク』編集局写真部に配属になる。

「フォトエディターという写真の編集を担う仕事をやりながら、フォトグラファーもやりました。配属当時はジャンルを問わずなんでも撮りに行ってましたね。とはいえ、最初はわからないことだらけ。カメラの知識だって“人よりある”程度で、学校で学んだりしたことはほとんどありませんでしたから。撮影も広範囲にわたり、デモを撮りに行くこともあれば、経営者のインタビュー写真を撮りに行くこともある。少しでも不明なことがあると、とにかく周囲に聞きまくってました。テクニックはもちろん、『サッカー試合の撮影?場所取りはどうすればいいの?』とかすごく初歩的なところまで。今思うと若さゆえの怖いもの知らず(笑)。ニュースのフォトグラファーって気難しいんじゃないかと思われているかも知れませんが、幸いなことに私の周囲は面倒見の良い人たちばかりで本当にいろいろと教えてもらいました」

人に恵まれ、働きやすい環境とはいえ、やはり週刊誌の現場はキツイ。毎週雑誌を出すだけでも大変なのに、90年代は別冊の発売も今より盛んだった。もちろん担当するのは同じ編集部。そこには『ニューズウィーク日本版』の元編集長、ジャーナリストの故・竹田圭吾氏(※)もいた。

「当時パソコンを特集した別冊がすごく売れていて、ボーナス商戦の春と秋と年2回は出してました。本誌を週刊で作りながら、同時に別冊を作るのが本当に大変で。今みたいなDTPなんてデジタル化されたシステムもなかったので、朝から晩まで働けど働けど追いつかず、色校を待っている間に仮眠したり、泊り作業もありました。上司も当然忙しくて手助けも期待できず、まだ編集長になる前の竹田さんが中心となって、同年代の人たちと四苦八苦しながら作ってました。すごくキツかったけど、でも今思い返すとあの当時が一番楽しかったし、それくらいがむしゃらに働いたこの時期の経験が、今の仕事に繋がっていると思います」

2001年には、フォトディレクターに抜擢され、以降さまざまな企画を考えるようになってきた。

「フォトエディターが担う“写真編集”という仕事をもう一度考えなおしました。 “写真たちにどう語らせるか”。日本の週刊誌での写真は、文章の説明、文章内容を証明するための添え物になる場合も多いのですが、写真が主体となってニュースや社会課題を深掘りするページをウチの雑誌で作りたいと思いました。テーマ設定、撮影、セレクション、レイアウト、提示する写真の順番——すべて写真という媒体がメインとなってストーリーを紡いでいくページが欲しかったんです」

そして生まれたのが冒頭で紹介した「ピクチャー・パワー」だ。

『ニューズウィーク日本版』フォトディレクターの仕事~後編~ は12月29日公開

※竹田圭吾:ジャーナリスト。テレビ・コメンテイター。ラジオ・パーソナリティ。2001年から2010年まで『ニューズウィーク日本版』編集長を務めた。2016年、51歳の時に、膵臓癌のため東京都内の病院で死去。