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27歳は女の絶頂期、25歳は女の決断期

今年32歳。サロンモデルから始まり、現在ではまつ毛エクステサロンとネイルサロン計5店舗のオーナーをつとめる高山直子。2年前には念願のアパレルブランド『la Balance』を発表し、先日発売された初のスタイル本『NAOKO balance』は発売数日で重版出来がかかる人気っぷり。

ここまで聞いて純粋に浮かぶ疑問と言ったら「なぜ彼女はここまで成功を収めているのか」ということ。数多くいる読者モデルの中であたまひとつ抜けたのは、いったいなぜなのか?ひも解いていくと、そこには、幼少期から変わらぬ彼女のこだわりと、ある信念が浮かんでくる。それは物心ついたころにはもう始まっていた。

「小さいころからとにかくこだわりが強い子で、たとえばお人形ひとつとっても、自分が納得いく子じゃないとイヤ。リカちゃん人形が流行ってた時も、私だけはジェニーちゃん派。スッとした外人顔のジェニーちゃんのほうが好きで、何体も持っててそれぞれの髪形を変えて遊んだりしてました。そのうちお人形じゃものたりなくなってきて、母の髪の毛を編んだり。今思うとそれが一番早い美容への目覚めだったのかも」

ヘアスタイルのみならず、ファッションへのこだわりも相当なものだった。

「幼稚園年長さんくらいから洋服も自分で選んでました。次女なんで姉のおさがりとか回ってくるんですけど、それもすごく嫌で。次女あるあるですよね(笑)。中学生くらいからは、欲しいものがないなら自分で作っちゃえばいいって、スカートとか簡単なものなら自分で作ったりして。自分でもなんでこんなに美容や服が好きなのかいまだにわからないけど、筋金入りの美容オタク、ファッションオタクです」

そんな彼女のこと。高校卒業と同時に美容への道を歩んだのは、当然といえば当然。とはいえ、若い女性ならば誰しもそうであるように、さまざまな道を模索してきた。美容の専門学校を卒業し、ヘアサロンに美容師として就職。体調を壊して一度退いてからは、モデルなど様々な仕事に携わる。それだけで生計を立てることは難しく、アルバイトを何個も掛け持ちした。高校の時から続けていた歌の道に歩もうと思ったこともあった。さまざまな道を模索する中で、25歳のとき、ある言葉に出会う。

「なにかの本で“女の全盛期は27歳”という言葉を目にしたんです。その時の私は、すべてが中途半端で。このままじゃ27歳になっても、自分が理想としている女性とはかけ離れたままだって感じたんです。急に危機感を覚えて、このままじゃいけない、じゃあどうしよう?って。美容も好きだし、ファッションも好き、接客業も好き、何より輝いている女性が好き。そして、誰かの役に立てる仕事がしたい。ならばやっぱり自分が持っている国家資格を活かすべきじゃないかって。美容師免許という資格を活かせる仕事には、美容師とアイリストのふたつ。当時まつげエクステは、今ほど普及もしていなかったし、私自身もアンチ・まつエク派。でも、“女性のためになる何かができる”、ただそれだけに魅力を感じて飛び込みました」

アイリストとして、忙しい日々を送るうちに、姉の紹介によって自分の店舗を出店する機会が訪れる。独立から5年、代表取締役社長に就任した現在でも、週に5回はサロンに立つというスタンスは変わらない。社長としてのプレッシャー、女性だけのスタッフをまとめる労力、当然つらいこともあったはずだ。

「それなりに大変なこともあったと思うんですけど、今思い返してみるとどれも良い思い出。どんなに辛い時でも、ともに戦う仲間と、来店くださるお客様に助けられてここまで来ました。“3週間に1回サロンに来るのが楽しみ”と言ってくださる人、“一生に一度きりの結婚式だから直さんにお願いしたい”と言ってくださる人、今の私があるのは関わってくれたすべての人のおかげです」

2014年12月には、『Fraisier SELECT』というECショップもオープンした。そこでは、彼女がプロデュースを手掛ける『la Balance』というブランドの服も購入できる。ファッション業界への進出は長年の彼女の夢だった。が、同時に叶えるのが怖い夢でもあった。

「ファッションが大好きで大好きで、それだけに適当なことは絶対にしたくないし、生半可な気持ちでは携われない。これまでも何度かお声かけはいただいていたんですが、当時はまだサロンも軌道に乗り始めたばかり。どちらも中途半端になるのは嫌だったのでお断わりしていました。でもちょうど29歳の時、サロンの出店も落ち着いたころに、友人から声をかけてもらって。信頼できるスタッフたちのおかげでサロンも安定した運営ができていたし、今なら洋服づくりと向き合えると、お受けすることにしました」

「女性を楽しむ大人のためのアイテムを」という思いが込められたオリジナルブランドは、彼女がデザイン画を描くことから始まるという。サンプルが上がってきた後も、何度も修正を入れる。シルエットにはとことんこだわる。それにはある理由があった。

「私自身、背も高くないし、体系に対してすごくコンプレックスがあって。だからこそ、どういう風に作れば女性が美しく見えるかにこだわってデザインしています。あとは着心地の良さ。デザインが優れていても着心地が悪かったら意味がない。それこそ納得いくまで、何度も修正を加えています」

何事にも100%、いや120%で挑みたい。この世界でともに頑張っている女性たちのために、まつエクでも、ファッションでも、究極を追求したい。最後に、そんな彼女の思いや、これまでのキャリアを綴ったライフスタイル本について聞いた。もちろん、ここにも彼女流のこだわりがある。

「今回まるまる一冊、スタイリストさんつけてなくてオール私物、オール私服なんです!お洋服が好きな人にはお洋服のページ、メイクが好きな人にはメイクのページと、どのページも今私が出せるノウハウすべてを出しきっています。今年は上京10周年でもあるんです。記念すべき年に、こんな本を出せる機会をいただけたことに感謝してます」

仕事のこだわりは「最後まで責任を持つこと。言って終わり、出して終わり、作って終わりじゃなくて。お客様は、フレジエで付けたまつ毛で生活して、ラバロンスの洋服を着て過ごしていく。そういう後のことまで考えて仕事をしたい」

彼女の成功にあったのは、絶対に譲れない自分だけのこだわり。その向こう側には、同じ女性への思いと夢がある。25歳の時に描いた理想の女性は、今間違いなく彼女の中にいる。