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感じることが、生きている証

満島真之介は明るい。くったくのない笑顔に、人懐っこいトークで、その場にいる人たちを一瞬で笑顔に変えてしまう。そんな彼だが、9月17日(土)公開の映画『オーバー・フェンス』では、ある意味真逆ともいえる森由人役を演じている。

何をやってもうまくいかず、グループの輪に入れず、暗くてパッとしない奴というレッテルを貼られ、「あいつらに、本当の俺がわかるわけがない」と周囲のせいにすることで自らの均衡を保つ森。実際の満島とは対照的な役に思えるが、案外自分に近かったという。

「意外に思われるかもしれないが『これが本当の自分です』というくらい森と自分は近い。例えば僕が一枚の紙だったとしたら、その一部分を切り取った感じ。それも普段なら切り取るはずのない真ん中の部分。自分の中に持ってるさみしさや、孤独感を切り取り、森という役柄とともに吹き込んでいきました」

「でも明るいのも本当の自分なんですけど」と言う。“表向きは明るいけど実は根暗”というわけではない。ただ単純に自己から芯を外した状態。彼はこんなたとえを使う。

「気張ることなく、すべて取っ払って、考えることもやめて、感じるのもやめて、ただそこで生きてるだけ。いや、生きてるのかどうかもわからない、完全にスイッチをオフにした感じ。なんにも入ってない自分をただ撮ってもらった。だから、函館にいた記憶はあるんですが、撮影の記憶がほとんどないんです(笑)」
完成した映画はまるで「空のようだ」と語る。

「何度観ても、自分の心のコンディションによって、いつもどこか見え方が違うんです。同じ映画なのに不思議だけど、“嫌”な時もあるし、“良い”時もある。きっとこの映画をとおして自分の心にある“今”を感じてるですよね」

自分以外の役を演じるのに、からっぽの自分を見せた“森”という役。意外なことに、そういう現場は『オーバー・フェンス』が初めてではないと言う。デビュー作、若松孝二監督の映画『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』での話だ。

「初めての映画撮影で、自分なりに演じようとしていろんな芯を差し込んでみるんです。若松監督はそんな自分を見て『演じようとするな』と。『俺が欲しいのはお前のそのままの姿だ、それが欲しいだけだ』と。でも怖いんですよね、芯を取るのが。人間って人前に出るときは、いろんな芯を一本背中に入れていると思うんです。幼稚園の頃か、小学生の頃かわからないけど、もう自我というのが芽生えた瞬間からそう。誰かの前に立った瞬間、”自意識”を含めた芯が自然と自分の中に入るようになってる。それを取るのは、真っ裸になるようなものだから、すごく勇気がいるんです」

監督に何度も叱られて、結局最後まで取れたのかどうかわからなかった。でも自我を抜くのはやっぱりちょっとずつしかできない。一気に抜いて、元の自分に戻れなくなるのが怖いから。ひたすら前向きで行動的かと思いきや、案外センシティブ。そんな一面はまさに『オーバー・フェンス』の森にも通ずる。そんな彼が行き詰った時のリフレッシュ法を聞いてみた。

「サウナです!とにかく汗を流して全部出す!最近のデトックス法とかで、何かを飲んだり食べたりして身体の悪いものを外に出すとかあるけど、そうじゃない。“外に出すために新しい何かを入れる?”それ違うでしょ!って(笑)」

汗とともに、いろんな感情も流していく。それだけじゃなく、考えるよりも先に肌で「暑い!!」と感じる瞬間が好き。

「どんなに落ち込んでても、考え込んでいても、そしてそんな自分を気づかないうちに取り繕ってても、サウナに入ったらまず『あちいな!!』しか感じない(笑)。思考よりも先に、直感で感じられることを再認識することによって、“ああ、俺は大丈夫だ。まだちゃんと俺でいられる”と思えるんです」

そうやって心身をさっぱりさせて、また外に出る。太陽のように明るく、気遣い屋で、正直で、そして少し不器用で、繊細な “満島真之介”という唯一無二の芯を背中にさして、一歩前に踏み出す。また新しい“今”を感じるために。

山下敦弘監督 独占インタビュー|若さゆえのおろかさは、未来への糧