今年1月に日本コロムビアから「NIPPONNO ONNAWO UTAU BEST」でデビュー、全国のFM/AMラジオ、CS放送で収録曲の「YAMABIKO」が52局のパワープレイを獲得したシンガーソングライター・NakamuraEmi。ラジオなどから流れる歌声は多くの人の心をつかんだ。150㎝にも満たない小さな身体で、JAZZからHIPHOPまでパワフルに歌い上げる彼女。働く女性のジレンマを映し出し、勇気づける唄には若い女性のファンも多い。幾多の岐路で迷いながらも、“音楽”を選び続けてきた彼女の道のりを前後編の独占インタビューで振り返ってみる。
杏子、山崎まさよし、元ちとせ、スキマスイッチなどが所属するオフィスオーガスタから14年ぶりの女性アーティストデビューとなる期待の新人。だが、その彼女が音楽と出会ったのは意外にも遅く、高校卒業後のこと。
「小さな頃から幼稚園の先生になるのが夢で、そのために進学した短大で、友人たちとバンドを組むことになったんです。それまで音楽には興味もなくて、楽器も弾けないのでボーカルをやることになったんですけど、そもそもほとんど歌ったことが無くて。文化祭でやることが決まっていたので、これはまずいと慌ててボーカルレッスンに通い始めたんです。きっかけはそんな些細なものだったんですけど、だんだん自分の中で音楽が大きなものになっていって……」
卒業後、念願の幼稚園教諭になるもののなんと1年で退職してしまう。アルバイトを掛け持ちしながらボーカルレッスンに通い、ライブ活動を続ける日々。興味がなかった彼女がそこまでして音楽の道を選んだのは一体なぜなのだろうか。
「今まで自分にはこれと言って誇れるようなものもなくて、でもレッスンを続けるうちに歌ならいけるんじゃないかって思い始めたんです。当時付き合っていた彼ともいずれ結婚する予定だったので『チャレンジするなら今しかない!やれるところまでやってみよう』って。今考えるとたった1年で辞めるなんてとんでもないことをしたと思うんですけど、当時は若さゆえの思い上がりと勢いで突っ走ってしまった。始めてみると、レッスン代、スタジオ代、ライブ代が思ったよりバカにならなくて。いくらバイトしてもお金が追い付かないし、彼氏も良い顔しないし、自分の考えの甘さを再認識。結局、彼とも別れて、音楽活動もいったんストップして再就職して、でもまた諦めきれなくて再開したり……フラフラとした状態が続いてました」
そして、29歳の時。音楽活動を再開して、厚木のスタジオで働いていた時に転機が訪れる。
「初めてみたレゲエミュージシャンのライブがすごかったんです。会場で『あ、お前ドラムできるんなら叩いてよ』みたいな感じでお客さんを巻き込んで曲が始まって。その日の天気や、集まった人たちにあわせて、フリースタイルで歌を作っていくんです。二度と同じものはない、まさにその時だけのライブ。『ここでMCをして、ここであの曲を歌って…』って、あらかじめ決めたスケジュール通りに進める私のライブとは大違い。こうやってやるのが音楽なのかなってショックを受けてる時に、たたみかけるようにHIPHOPのDJなどをやっていた当時の彼に『お前の音楽すごく気持ち悪い』って言われて(笑)。それから、レゲエやHIPHOPとかいろいろ聞くようになって、一気に世界が広がりました」
当然自分で作る曲も変わってきた。
「それまではメロディと詩が一緒だったり、メロディが先だったりしてたんですけど、完全に詩から書くようになって。コードとかも色々オシャレなやつとか探して組み合わせたりして作ってたんですけど、そういう努力もやめました(笑)。HIPHOPなんてずっと2つのコードのループだったりするし、リズムさえあれば歌いだせる。むしろ、単純なコードでメロディを歌詞にくっつけていくことを考えるようになりましたね」
ツウ好みなHIPHOPやレゲエ調の曲は男性ウケが良さそうな印象だ。しかし、客席からの反応は意外なものだった。
「男性のお客さんが激減しました(笑)。ちょうどそのころからTシャツにデニム、すっぴんとかで歌うようになって。“女性だから”と見られるのが嫌で、純粋に歌だけ聞いてほしくて、早く言えば媚びるのをやめたんですけど『なんか怖そうです』って話しかけられもしなくなってしまった(笑)。でもそれを貫いていたら徐々に女性のファンが増えてきたんです。ライブ後に泣きながら感想を述べてくれる女性、『仕事で嫌なことがあったけど、あなたの曲を聴いて気持ちを切り替えることができた』と手紙をくれた女性、友達をたくさん連れてきてくれた人もいました。仕事後にわざわざライブハウスまで来てくれる、彼女たちのその気持ちが私を支えてくれました」
そして最後の転機、メジャーデビューへの道が開かれる。