天職をつかむ力!大久保希・わたしのキャリアストーリー(前編)

天職をつかむ力!大久保希・わたしのキャリアストーリー(前編)

大久保希

私が社会人になって、今年で25年目になります。高校を卒業し、地元の某自動車メーカーの研究施設に就職したのが、私のキャリアのスタート。現在は、長い間憧れだった美容業界で起業し、自分の感性とこだわりを詰め込んだオリジナルコスメを作り、化粧品会社社長としての毎日を送っていますが、この欲しいキャリアをつかむまでには、本当に、本当に様々な経験を積んできました。それらは時に計画的であり、無計画無鉄砲でもありました。
年齢も40代半ばに入り、人生の次のステージに立つ自分をイメージしていますが、その前に今の私を作り上げたこれまでの仕事を思い出し、過去の自分を振り返ってから舞台本番をむかえたいと思います。

【1】基礎を学んだヴァージン・ジョブ

バブルが崩壊し始めた1991年、テニスと合唱と友達が全てだった女子高校生がOLになりました。とにかく一生懸命、笑顔と根性なら誰にも負けません!という典型的な体育会系の私は、頑張ること以外何のとりえもありません。そんな私が仕事を意識し始めたのは、職場のOJTやQCサークル活動。徐々に自分と仕事・会社との距離感がわかるようになり、また上司や先輩の言葉が理解できるようになっていきました。『私は褒められて育つタイプなので、叱らないでください!』と言ってのけた私を、本当に褒めながらロジカルに根気よく育ててくれた上司の笑顔は今でも忘れられません。私の特性を活かしつつ、仕事や社会の基礎を学ばせてくれたこの時代が、後のキャリアの基礎となりました。

【2】夢を見つけた20代前半

ヴァージン・ジョブは、入社5年目で終わりを迎えます。理由は、一般事務職から総合職へキャリアアップできないから!小娘がよくぞここまで育った、と思います。会社の組織力と上司の人間力の賜物です。
退職後、24歳になる私が目指したのは「技術職」。当時の一般事務職の限界を知った私は、キャリアップするためには手に職をつけたいと思うようになり、もっと綺麗になりたい想いとリンクするように、自然と美容の道へ。入社1年で地方勤務のエステティシャンが本社勤務になり、当時まだ珍しいアロマセラピーの基礎も学びながら、私もいつか自分のサロンを持ちたい、ビルも建てたい、という夢を見つけ、これこそ『天職』だと思うようになりました。が、一転。バブル崩壊という時代の波にのまれ、会社の経営方針についていけない私は迷わず退職の道を選びます。

【3】挑戦し続けた20代後半

26歳になる私が次の「技術職」として選んだのは、時代のニーズに合った「IT」。美容とは全く関係ないけれど、社会に必須となる技術を身に付けることがキャリア形成には近道だし、前職から学んだことでもあります。夢の美容業界はいったん休業。
90年代後半、インターネットが一般に普及し始めた頃、独学で寝ずに勉強して習得したWebの知識とパソコンの技術は、時代の波に乗り、一気に売り手市場に躍り出ました。ノリに乗っていた私は、26歳でシステム開発会社を起業しますが、すぐに倒産。ここで「営業職」の大切さに気付きます。それなら次は「営業職」、ではありません。目指したのは「技術を持った、営業職」。ITという業種でも、技術営業職という職種でも、売り手市場を狙った私の挑戦は、常に全力疾走でした。
27歳になった私は、30代を目前に新たな想いを抱きます。『結婚と出産』です。仕事も勉強もいつでもできる、キャリアも作れる、でも出産と育児のタイミングはどうか。後悔だけはしたくない。私の強い想いはその想いのとおりとなり、29歳で妊娠・結婚、産休・育休が整備されていなかったこともあり、臨月に入ったのを機に退職し、私の一次キャリア時代が終了します。

まとめ

社会人としての基礎を学び、夢を見つけ、キャリア形成のために駆け抜けた20代。キラキラと輝く日々でしたが、『天職』がそのまま仕事になるとは限らず、『適職』がキャリアを作り上げるという現実を知った時期でもありました。30代は、育児とキャリアの両立、結婚とキャリアの両立で思い悩むことになります。

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